中学には野球部がなかったので、バレーボール部に所属し3年生では主将を務めさせて頂いた。
部員のみんなには迷惑かけたと思う。
そして、高校で野球部に入った。
が、元々カラダが弱く運動神経は良い方ではなかったので上手くならなかった。
野球は、走攻守共に道具を使いこなし、アタマも使いこなさければならないスポーツだ。
でも、3年間大きな怪我なく、頑張ったので基礎的な体力はついた。
そして野球的な哲学という空気の基礎を身につけたと思う。
大学に進学。南河内から名古屋の外れ、文化が違う場所での一人暮らしが始まった。
ご飯の味付けも違うし、喋り方が違う。
テレビのチャンネルが違う。辛いことに気づく、そうサンテレビがないこと。
昭和59年、まだまだアナログな時代。
CSもない、ラジオもドラゴンズ中心。朝日放送、毎日放送が聞けない。
アパートで置く場所によって聞こえることを見つけた。アンテナの方向を調整したりしてた。
大学2年生で車を買ってもらった。
聞こえやすいところへ移動して聞いていた。
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